2008-04-29

きっと、忘れない。

 




アントレで戦う最後の一日が始まった。






全員の思いはきっとひとつだった。






しかし、朝から数字がまったく動かない。






最後一日でクロージングできる数字があるとしたら。

それを前夜に考え抜き、全員が朝からそのために動きまわる。


一度は断られた。でも、再度ニーズを掘り起こし、提案に向かう。

まだ会ったことさえない。でもきっとニーズがあるはずだ、そこに飛び込む。

すでに掲載予定のあるクライアントへ、追加提案を案内する。


そこにいる全員が、考えられるすべての選択肢を挙げ、ただ実行する。

2か月前の組織からは考えられないほど、

一丸となってゴールを追いかけた。








でも、数字は動かない。








それもそのはず。

この2か月、

絞り切ったぞうきんをさらに絞って、

できる限りのことをやりきって、

不可能をいくつも可能にして、

そうやって、

ここまできたんだ。



もう、誰の手にも、何も残っちゃいなかった。





9時から営業を始め、






10時、






11時、






12時、









しかし数字が動かない。














13時、













14時、











ホイッスルまで残り4時間を切ったとき、

それでも数字は動かなくて、

天を仰いで、














14時32分、














その時、僕は西日本に異動した先輩と、

昔、難易度の高さに暗礁に乗り上げたクライアントへ、

最後にもう一度何か提案できる余地はないかを、

電話していて、

二人ともあせって声を荒げて電話をしていて、














14時33分、

















後ろのほうでフロアが湧いた。

















すぐに電話を切って駆け付けると、





入社半年の新人が掲げた申込書。





昨日初めて商談に行った、




新規クライアントからの、




渾身の連号受注。













数字は、














99%














その瞬間、

あふれ出したアドレナリンが、

フロアを包んだ。





あと1%




あと1%





なにが、




なにができる。




なにができる。




なにができる。





異様な光景だった。





その申込書が掲げられた直後から、




静まり返った営業フロア。




全員が、




あと1%




なにができる




自分と向き合い




静まり返った。





14時50分、





15時00分、








まったく状況は動かない。









そして、


なぜ、そこに電話をかけたんだろうか。

自分でも不思議なくらい、

無意識に、

僕は携帯電話を手に取り、

ダイヤル発信をした。








埼玉県にある、子供服リサイクルショップFCの会社。







担当してちょうど1年。





担当直後に編集部と大トラブルが起こって、

GM、編集長をつれて謝罪に同行。


それでも社長の怒りが収まらず、


もう二度と付き合うものかと、

叱責を受けた僕と社長の関係の始まり。




それから、何度も足を運び、

事業拡大への思いを共有し、

もう一度だけ、とチャンスをもらったフェアへの出展で成功をおさめ、


ひるむ社長の肩を叩いて、

大阪地区への進出を決断。


1年かけて加盟店を大きく伸ばしたそのチェーンが、

僕は心から好きで、


社長にはいつも「次はない」と脅され、

時に見捨てられそうになり、

怒られながら、

今日まで。





実は、次回のフェアへの出展を断られていた。





東京地区での店舗がついに飽和状態になった。

これ以上応募者が必要なくなった。



アントレのフェアに出なくてもよくなる。

イコール、FCチェーンにとっては、

東京地区での「アントレ卒業」を意味する。



すごく、めでたい非出展理由。



提案は、当然大阪に重心を置くことになる。

これから本格化する大阪地区での店舗展開について、

戦略と思いを語り、

次回は、大阪フェアへの出展を約束してくれていた社長。





その社長に、

なぜその社長だったんだろうか、

もっと仲の良い会社なんていくらでもあったのに、

今でも不思議で仕方ないんだけれど、

その時、

無意識に、

その社長に電話をかけていた。









そんな電話をかけたのは、初めてだった。









顧客に対して、「価値ある提案」を行ってこその営業である。

そう、スタンスをもって営業していたのに。








電話に出てくれた社長に対して、










東京フェアに、出展をお願いできませんか。









と、お願いをした。










もう、東京地区での加盟店獲得の必要がないこと。

今後のチェーンとしての方向性、

イベント当日に新店オープン直前が重なっていること。



全部を承知の上で、



それでも、東京フェアに出店をしていただけませんか。



そうお願いをした。









社長もビックリしたんだろう。

言葉に詰まられた。







そして僕は、




今日がアントレで働く最後の一日であること、



アントレの事業が掲げた経営計画に対して、



あとちょっとであること、



時間がない中で、



もう何もできることがなくて、



本当に自分勝手なお願いで、



でも、



こんなことを頼める社長はほかにいなくて、



本当に、



自分都合の営業電話で申し訳ありません。






そう、伝えた。






やや沈黙があった後、







そうか、

麻生さんは今日で最後か、





わかった、





いいよ。







卒業おめでとう。








ホイッスルの2時間30分前。



東京フェアの受注が確定。



瞬間、声にならない涙が、あふれ出た。










電話を切って、

顔をあげると、

まわりが泣いていて、









でも、まだ足りない。









99.6%









それから、数字が動き始める。








同じような、

小さな受注が、

いくつか動きはじめて、








99.6%





99.6%





99.8%





99.9%














僕は、直前のその電話の感動が止まらなくて、

受注処理に時間がかかってしまって、










時間は、










17時30分。





受注処理を終えて、





もう、

ほんとに、

あとちょっとなんだ。






まだ、できることはあるか。







もう、

たとえ無理だったとしても、

最後まで戦い抜いてみせる。








そして、









最後に、



2年間付き合った中で、



一番かわいがってもらった会社に、



電話をかけた。








17時45分。







僕はその会社と、


思い出話とか、


今月に予算を回してもらえる方法はないかとか、


思い出話とか、


今月に予算を回してもらえる方法はないかとか、


すこし長い電話をしていて、








17時55分









少し離れて電話をしていた僕の、










後ろのほうで、









歓声が上がった。














ああ、













よかった。

















2008年、3月28日、17時55分。

48期初めての、

アントレユニット、

四半期経営計画、

達成。











僕の電話は、18時を少し回って終わり、

やはり


卒業おめでとう


の言葉と一緒に、

アントレ本誌の広告掲載を決断してもらった。





それが、僕のアントレでの最後の受注となった。








電話が終わって、

みんなのところに戻って、

飛びつかれて、

やった!

と言葉を聞いた時、



腰を抜かしてしまった。




そうか、

やっぱり、

奇跡ってやつは、

起こせるんだよな。



それから、

一緒に戦ったすべての仲間と、

お世話になった関係と、

先輩と、

上司と、

お客様に、

心からの感謝の気持ちを、

述べて回った。















そんな、アントレ最後の一日。












それから1か月。

すべての引き継ぎを終了し、

新天地、メディアテクノロジーラボで、

新事業の立ち上げに奮闘する毎日を送っている。





4月の中旬に招かれた、

アントレの新しい1年の門出を祝す「キックオフ」で、

48期第4四半期

「最優秀営業マン賞」として表彰を受けた。



去る身だからいいよ、と言ったのに、

ぜひ、最後にコメントを言ってほしいんです

と用意された、会の締めくくりの挨拶。



そこで、

新しくこの1年を戦う新生アントレユニットのメンバーを前に、

僕はこの2年間の想いを、

簡単に述べた。

















アントレのことが、

すごく好きだったんだなぁと、

心から思う。



思い返す辛いことは果てしなくあって、

日々の数字へのプレッシャーはハンパないし、

提案なんてなかなか通らないし、

そんな中で日に日に厳しくなっていくマーケット環境が、

苦しくて、苦しくて、



でも、

それでも僕は、

働けば働くほど、



アントレの読者が好きで、

アントレのクライアントが好きで、

アントレで働く人たちが好きだった。




今だから笑ってよく話す話だけれど、

僕の社会人生活は、

わけもわからずかけさせられたアポ取り電話、

それを隣で聞いていた先輩の、


お前のしゃべり方がムカつくから、死ね。


の言葉で始まった。




アポに行けば行ったで、

実は世の中に「アントレの出稿ニーズ」なんてほとんどないわけで、

そんな中で、

一社、一社、

すべての経営者と、


どうやったら御社の事業は拡大できるんでしょうか


と、売り上げ拡大の話をし、

初めて聞いたような商材の販路を考え、

マーケット分析をし、

チャネル展開を提案し、


それでも広告掲載はほど遠い話で、


今思えば、その分析や提案もいかに未熟だったかとは思うものの、

ひたすら社長に会い続けて、

経営の話を聞かせてもらった2年間だった。






いつの日も、胸に刻んで戦ってきた言葉がある。



かつてドリームゲートを立ち上げた伝説のアントレマン、松谷卓也氏の言葉。






アントレを担う我々自身が、アントレプレナーでなくてはならない。





人生を賭けて応募をするアントレ読者と、

社運をかけて広告掲載をするクライアントの間に立つ僕ら自身が、

いかにアントレプレナーであれるか。




そんな中で出会ったすべての読者とクライアント社長は、

本当に、

腹をくくった生き方をしていて、

サラリーマンである僕には絶対に持ちえない輝きに、

憧れを覚えた。





本当に、アントレのことが好きだったんだなぁと思う。

それは、関わる全ての人たちが腹をくくった生き方をしていたからで、

その、

アントレプレナーとアントレプレナーをつなぐアントレこそ、

何より腹をくくったアントレプレナーの集団であってほしい。






そう、伝えた言葉の最後を以て、

僕のアントレでの生活は幕を下ろした。








これからの数年間、


僕が歩む道のりは、


サラリーマンでありながら、

自分で決断して進まなければ何も生まれない、


社内起業家


としてのキャリアになる。









アントレ出身のイントレプレナーとして。





さすが、といわれるような、

腹をくくった事業展開を描きたい。





僕があこがれるアントレで出会ったすべての起業家が持っていた、

人生を賭け、

社運を賭け、

その足で立った時に生まれるキラキラとしたオーラを、

少しでもまとえるように、

この足で、歩んでいきたい。





卒業して思うのは、

アントレがいかに好きだったかという想いと、

関わったすべての人に対する、

ただ、

感謝の気持ち。




僕を育ててくれた、

すべてのアントレプレナーのみなさんに、

こころからの感謝を伝えたい。




いつかまた、

一緒に仕事ができるように、

そのときに、

恥じることのないくらいに

腹をくくって立っていられるように、








やるぞ。










2年間「mozkishAntenna R」にお付き合いくださったみなさま。

なんとも、毎度よくわからない胸の内を吐露するだけのこのブログにお付き合いくださいまして、

本当にありがとうございました。


僕の大好きなみなさんが、

日々頑張って働いていて、成長して、進化していく様子に、

どれほど刺激を受けて、

日々の仕事の力に代えさせていただいていたか。


本当に、本当に、感謝の気持ちでいっぱいです。




「mozkishAntenna R」は、この投稿をもって更新を終了しようと思っています。




2年間のアントレ生活で培ったすべての力で、

新天地メディアテクノロジーラボにて、

事業開発の仕事をしていきます。



腹をくくり、

自分の足で立つ。



そんなイントレプレナーを目指して、

このブログも、名を「mozkishAntenna」に戻し、

新しい形態で発信をしていきたいと思っています。



実は、3月末より投稿を始めている

mozkishAntenna

にて、今後ともお付き合いいただければと思います。



それでは。

本当に、

本当に、

心から、





ありがとうございました!





ようちん

2008-03-27

超大型受注、そしてアントレ最後の一日へ。

今から2ヶ月前。
NewRINGの準グランプリが決まった翌日。

アントレで一番仲のいい同僚と臨んだ合コンで、
僕は泣き崩れた。

時間は夜中の0時ごろ。
場所は繁華街のカラオケボックス。


女の子が中で歌っていて、

合コン仲間のベンチャー社長も中で騒いでいて、

その部屋のドアを出たところで、

僕は入社してはじめて、

仲間の前で泣き崩れた。



新事業の立ち上げに行くには、アントレを卒業しなくてはいけない。

僕はまだ何も成し遂げちゃいないのに、

まだまだアントレでできることがあるのに、

成長させるだけさせてもらって何も恩返しできていないのに、

僕はアントレを卒業するのか。



当時のアントレが10月の人事激震の後遺症から立ち直れず、

売上がまったく上がらず、組織としてバラバラだった状態も油を注いだ。



今の状態のアントレを見捨てて、

僕は卒業しなくてはいけないのか。


今の状態のアントレを見捨てて、

卒業することなんて、僕にできるのか。


そんな自問自答が、いつしか、とめどない憤りに変わって、

ひとり夜中のカラオケボックスで延々と泣きわめいた。


これは、きっとその同僚以外誰も知らないエピソード。

泣きわめく僕を前に、

俺たちで、絶対に、絶対に、アントレの事業を守りきってみせる。

その日、僕らはそう誓い、約束をした。






…それから約2ヶ月。





僕には正式な辞令が下り、異動が決まった。

一年間戦ってきたアントレの48期も、ラスト1日を明日に迎えた。



泣きわめいた当時、どんな奇跡が起こっても埋められない

そう言われていた負債の解消が、目の前までやってきていて、

この2ヶ月のV字具合は、一部では奇跡と称された。




もちろん、僕ひとりがどうこうなんてことじゃない。

ましてや、残された2ケ月で現場の僕らができることなんて、たかがしれたものかもしれない。

それでも僕らは、
あの夜から、
ひとりずつまわりを巻き込みながら、
アントレを語り、
未来を語り、
現実を語り、
目線をあわせた。

全員で、
ここにいる全員で、
絶対にアントレの事業を守りきってみせようぜ。
そう前を向いていった。

そうやって全員で作り上げたこの2ヶ月の回復劇。





僕のキャリアにとっても、この2か月はとても大きな2か月となった。


残された2ヶ月で、

アントレのために、

事業のために、

僕個人ができることはいったい何なのか。



かつて僕の尊敬する先輩と上司が教えてくれた、

不可能を可能にするための、あまりにもシンプルな方程式。





自分以外の誰かのために戦ったとき、人はこんなにも強くなれる。





それを、

とにかく愚直にやること。

とにかく愚直にやりきること。

それだけをやろう。


そして僕は、その夜、戦いの先頭に立つことを決めた。





…そんな決意がなした業なのだろうか。




48期が終わりを告げるギリギリのところで、

僕は超大型受注を果たした。


誰もが知っているあの1兆円小売チェーン企業に対して、

半年間かけて仕掛け続けた提案が、

全社を巻き込んだ末に役員会に上がり、

この4月4日に承認される。


承認に先立ってアントレに発注された巨額の広告企画は、

アントレの歴史に刻まれる超大型受注となった。



受注の瞬間に歓喜に沸いたフロアは、

変わりつつある組織の雰囲気を、一瞬で変えた。



アントレで教わったことのひとつに、

「奇跡ってのは、本当に起こせるものなんだ」

ということがある。


あの夜から、僕らはどれだけ、

まったく兆しのなかったところから商流を作り出し、

果てしなく売り上げを積み上げたことだろうか。



今日の一日が終わるとき、計上が示した数値は、

絶望的といわれた事業目標に対して97%まできていた。



あとちょっと。

あとちょっと。



もうどこに何もないカラカラのぞうきん状態だけれど、

絶対になんとかしてみせる。



あと一日。

本当に、あと一日。



ホイッスルが鳴るその瞬間まで、

全力を超えて、走りぬいてみせる。




笑顔で、最後は笑顔でしめくくるぞ。




そして、明日、僕はアントレを卒業します。




アントレを作り上げてきた先人方、どうか、僕らに力を。

2008-02-05

入社動機を、やるときです。

リクルートを世界一の会社にするんだ

そんな青臭い動機が入社を決めた理由だったことを思い出す。


リクルートのビジネスが好きで、
リクルートで働く人たちが好きで、
リクルートの目指す世界が好きで、

入社を決意したことを思い出す。




…入社して2年が経過しようとしている。




毎日の営業活動はとても刺激的で、
思った以上の成長曲線を描けていることに満足している。

仕事とは何か
成果とは何か
課題解決とは何か

短期間でPDSをまわさなくてはならないこの会社の仕事のサイクルは、
誰よりも早く成長したいと願う僕に、あまりに心地よい。



そんな中、通常業務と兼務をする形ですすめてきた半年間のプロジェクト。

紙からネットへ、ネットからケータイへ、すごいスピードで事業ドメインが移行する中で、
次世代のリクルートメディアの形はどんなものなのか。

そんな課題感から、僕らはひとつの事業モデルを提案した。


日々の営業活動の合間を縫い、

仮説を立て、
調査を行い、
プロトタイプをつくり、
試験し、
また仮設を立てた。


正直、確信は持ちきれなかった。
でも、きっとこの方向性なら今のメディアの形を進化させられる。
そんな兆しを確かに見据えることができた。



最終プレゼンテーションは、柏木社長以下約10名の役員の前で行われた。

今年は全700件超の案件が提出される中、
最終選考まで残った9組のプラン。

どれもがリクルートの「次の」事業に投資決済を仰ぐ中、
くじ引きで決められた順番で、僕らはファイナルを勤めた。



これまで何度もプレゼンテーションを行ってきたけれど、
あんなに鋭い空気の中でプレゼンしたのは初めてだった。




言葉のひとつひとつに、視線が突き刺さる。




プレゼン後の質疑応答も、かつてない鋭さだった。


質問をうけて、痛みを感じたはじめての経験。

涙が出そうなくらいまっとうにポイントをつかれて、倒れこんでしまいそうになった。




消耗しきってプレゼンルームを後にして、

放心状態で帰路に着き、

今日ははやく寝よう、と横になったところで

一本の電話が鳴った。





電話は、一緒に半年間検討を続けてきたオーナー役員からだった。





内容を聞いて、頭が真っ白になった。




なぜ。

理由が分からず、すぐに言葉が理解できなかった。



そして、次の瞬間に思い出したのは、

かつて、内定者のときに思い描いていた熱い想い。




リクルートは、きっと世界一の会社になれる。

そんな熱い想い。




そうか、そんな想いが伝わったんだろうか。



しかしすぐに考えを正す。

そんな「想い」とか「意義」なんてものは、
明確な事業計画とそれを実現しうるロジック&ファクトなくしてはまったく無力である。

この半年間でいやというほど学んだ「事業」という言葉のシビアさ。

きっと、その決断に「想い」なんてものは1%も影響を与えていない。



でも、リクルートの次世代メディアを提案するにあたって、

成功を裏づけするファクトなんて存在するわけがない。


最後まで十分な根拠を用意することができなかった僕らのプランは、

プレゼン後もそのポイントを見事につかれた。



それなのに。



検討不足な点が多々あったことを十分に理解しながら、それでも下された決断だった。

リクルートの役員ってやつは、伊達じゃないんだ。

これがリクルートって会社なんだと驚愕を覚えた。



来期はもっともっとシビアな環境の中で、

その事業の立ち上げを行うんだろう。



胃が痛い。


不安で仕方ない。


でも、すごくワクワクしてしかたないんだ。



今だからこそ、忘れないように胸に刻みたい。

入社のときに誓った「リクルートを世界一の会社に」という青臭い想いを。



やりますとも。



そんな、入り混じった感情の波の中で、
入社以来最大のガッツポーズをとった。






NewRING2007、

最終選考を経て、

準グランプリを獲得しました。

2007-12-31

Stage of the ground.

一年間が終わりをつげる、最後の日。

紅白歌合戦をBGMに、この一年間を振り返る。

苦しいことも、
嬉しいことも、

いろいろあった365日に想いを馳せるこの瞬間がすごく好きだ。


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2007年のテーマは、「踏み出す」。

会社にも、
クライアントにも、
そして自分自身にも一歩踏み込んだ仕事をしてみせる。
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そう宣言して始まった僕の2007年。

この一年は、

今までで一番シビアで
今までで一番厳しくて
今までで一番苦しくて
今までで一番悔しかった

そんな一年だった。




踏み込んだ仕事をする。


あたりまえのことなのかもしれないけれど、
それには、厳しさや苦しさを伴うもので、
踏み込めば踏み込むほどに環境もシビアになっていく。


プライド
カンバン
甘え


すごいスピードの変化の波にくらいつくために、
捨てなければならないもがもたくさんあった。


なんて自分は小さいんだろうか。


仕事で初めて涙を流したのもこの一年。

やるせない悔しさに押しつぶされそうになったのもこの一年だった。





婚約を解消して、モチベーションの維持が難しかったここ最近。

「なんのために仕事をがんばるのか」

ふとそんな会話になったとき、思わず胸に手を当てて考えてしまった。



これまで、理由なく走り続けることができたモチベーションに、

すごく強い「意思の力」が必要になってきている。


そんな一年でもあった。



環境も、自分の中でも、大きな変化が押し寄せた2007年。


すべてを懸けて提案したクライアントの事業撤退が決まったとき、

どんなに正しくて価値のある仕事にも、どうにもできないことがあることを知った。


絶望的と言われたな目標に手が届いたとき、

商品を提供することでも、価値の高い提案をすることでもない、「売上があがる」ことの本当の意味を知った。


「アントレ東日本G」の最後を笑顔で迎えられたとき、

自分以外の誰かのために戦ったとき、人はこんなにも強くなれることを知った。


いくつものかけがえのない経験が僕に与えてくれたステージで、

一年前に描いていたよりも、少しだけ大きな自分になれたような気がする12月31日。


明日から始める2008年に、そのすべての力をもって臨んでいこうと思う。



社会に出るときに決めた「2年」という自分との約束。

あの時は不可能だと思っていたステージだけれど、今なら戦える。



プライドも、実績も、何もない僕だけれど、

誇りを持って進んでいきたい。



心に力を。この足に決意を。



さあ、2008年が始まるぞ。

2007-12-09

旅立ちの唄。

幸せにしたいと願った人を

幸せにできないことがわかったとき

僕にできることは何なのか。



どんなに頑張っても

どんなにやりきっても

どんなに願っても

かなわないことがあるって分かったとき

僕にできることは何なのか。



僕が物語の主人公なら、ここで奇跡は起こったんだろうか。

改めて、自分の体の小ささを知る。



でも何度振り返ってみても、

他に取るべき選択肢なんてなかった、と思いを正す。



ただ、もう少し、もう少し僕に力があったならば。

それだけが心から悔やまれる。



幸せにしたいと願った人を幸せにできなかったとき、

そして、それ以外にとるべき道がなかったとき、

僕はどうしたらよかったのだろうか。



時はめぐる。

いつか、幸せになったその人に、

心から微笑んで再開することができるように、

新しい明日を歩んで生きたいと思う。



ただ願う。

幸せになれよ、と。







報告があります。

結婚しないことになりました。

2007-11-13

ステージを昇る。

NewRINGが最終選考まで残った。

役員直下でチームが編成され、
予算をもらって事業化へのフィジビリティを行っている今日この頃。

同時に、ずっと「やりたい」と言い続けていた
アントレの次世代ビジネスモデルを見据えた新企画も検討ステージに昇った。

本職アントレの営業でも、
最大手かつ最難関クライアントへ、大きく仕掛ける布石が打たれ、
プロジェクト編成で目の回る忙しさを過ごしている。




今、自分の中の、ステージが大きく変わろうとしている。




営業から事業へ。

容赦なく押し寄せる仕事の量と難易度の高さで、溺れ死んでしまいそうになる。




実は、選考通過の連絡を受けたとき、

ガッツポーズをすると同時に、

このまま進むべきなのか、心から迷った期間があった。

僕にはできない。

まだ、自分には腰を据えて身につけるべき、大切なものがあるんじゃないか。

それが不安で仕方なくて、一度は辞退も考えたことさえあった。




思えば、頭とプライドだけで何もできない自分がいると気づいた入社直後。

2年と決めてすべてを捨てて、できない自分と向き合うと誓った。



意思を封じ、利き腕を封じ、すべてを捨ててでも欲しかった、力。



その力なくして、甘んじてステージは昇りたくない。

とにかく、怖くて仕方がなかった。




そんな中、半期最後の個別ミーティングで、
去り行く尊敬する上司が、僕にくれたひとこと。



「大丈夫、よーちんならできるよ。」



涙が出そうになるこの1年半を振り返って、改めて決意をした。



できるとかできないとか、そういうのはどうでもいいんだ。

仲間のために、
事業のために、
社会のために、

やるのか、やらないのか、それだけなんだ。



そう想った瞬間にあふれ出したのは、

ずっと封じ込めていた、

リクルートへの想い、
アントレへの想い、
共に戦う仲間への想い。


できるとか、できないとか、そういうのはよくわからないけれど、

僕は、みんなと未来を創りたい。



灯せ、意思を心に。

この、何もできない僕に、何ができるかわからないけれど。

描け、想いを戦略に。

この想い、絶対形にしてみせる。



そろそろ、このブログも次のステージにうつろうかと思っています。

さあ、いくぞ。

2007-11-03

自分以外の誰かのために戦ったとき、人はこんなにも強くなれる。

劇的な半期末を終えて、
劇的な環境の変化を迎えている。


自分のためじゃなく、
事業のためでもなく、
ただ、心から尊敬する人が去ってしまうそのはなむけに、
すべてをかけた7日間だった。



自分以外の誰かのために戦ったとき、
人はこんなにも強くなれるんだ、

そうやって駆け抜けた最終日に、
擦り切れて倒れそうになる体と心が奮い立った。


試合終了、1分前。


僕らは、絶望と言われた業績を成し遂げる。


半期終了のホイッスル。


安堵と達成感で倒れこみ、

同時にフロア中が喝采する。




その夜は号泣だった。


その結末にではなく、
これまで歩んだ道のりに、
これから進む未来に、
そして、今まで伝えられなかった、すべての感謝の気持ちに。


何より嬉しかったのは、笑顔で手を振れたこと。
胸を張って送り出せたこと。

誰に褒められるわけではないけれど、小さく胸で誇った。










…あれから、もう一ヶ月以上。


僕には、圧倒的な環境の変化が訪れている。

長い歴史の重みがある、バトンを託され、ステージを昇らされた。


昇るべきステージを前にして、
想いを馳せ、決意を強くする1ヶ月だった。

きっと、3ヶ月前の自分だったら、怖くて目を背けていたかもしれないと思う。



でも、その7日間があったからなのだろうか。

自分でも驚くほどおだやかに階段を上り、
そのステージで戦うことを腹で決めた。



意思を未来へ。想いを戦略へ。



僕へと託された、熱い熱い先人達の想いを肩に。


絶対に、絶対に、戦い抜いてみせる。

みてろよ。

2007-09-19

壊した壁の先に。

この下半期、アントレの組織に地殻変動が起こる。


そして今から7営業日後、僕をとりまく圧倒的な環境の変化が起こる。


異動って意味じゃないですよ。
下半期もアントレで元気に営業します。


でも、圧倒的な環境の変化が起こる。

壊した壁の先にあったものは、事業の一端を担う責任。

そして、未来への意思。


覚悟を決めなければならない。

そしてステージを登らなければならない。


ちっぽけな僕だけれど、

そんな僕へと託されることになった先人達の想いを胸に。


これまでアントレを創り上げてきたすべての人へ、

そして、今まわりで働くすべての人へ。

感謝。

そして未来への決意。


アントレを担う我々自身が「アントレプレナー」でなければならい。

そう言ったのは、かつてアントレでドリームゲートを立ち上げた伝説の男。

松谷卓也氏。


そして僕は決めた。

今日までともに戦ったメンバーとの証として、

戦いきると決めた、残7日間。


これまでの日々の、すべての感謝を力に変えて戦う7日間。

上半期の終了の音は目前だけれど、

僕ははじめて個人の小さな目標を超えて、

事業の数字を追いかけることを決めた。



残日数に対して、あまりにも絶望的な目標。


でも、

絶対になんとかしてみせる。

それぞれが笑顔で次のステージを迎えるために。

絶対になんとかしてみせる。


感謝、そして決意。

壊した壁の先に。

世界が、少しずつ動き始めた。

2007-09-12

突き抜けた瞬間。

1年半が経つ。

2年と決めて、すべてを捨てた。

それまでに築いてきたもの、
それまでに培ってきた魂、
それまでに作り上げたプライド、

ぜんぶを捨てた。



ぜんぶを捨ててでもほしいものがあった。

ぜんぶを捨ててでも壊したい壁があった。



自分の無力さを知って、
人のやさしさとか、世界の大きさとかを知って、
これほど涙が出そうな日々がこれまであっただろうか、
そんな営業シーンにいくつも出会うことができた。



2年と決めて、すべてを捨てた。

1年と少しが経過した今から3ヶ月ちょっと前、
「すべてを捨てた」と思っていた自分に、
まだ捨て切れていないものがあったことに気付いた。

捨てようとして、怖くて目を背けたくなり、
捨てようとして、すがりつきたくなるそれは、

どうしても魂にこびりついていて、

自分とは何か、
夢とは何か、
なんのために働くのか、

自問自答を繰り返した。



答えは初めから明らかだった。
でも怖くて目を背けてしまう僕がいた。



きっかけは先輩とお客さんがくれた。


それと同じ頃に、絶望的な目標が降りてきた。




その瞬間、




なぜだか、

ほんとうになぜだか、

ちっぽけな勇気だったけど、

魂にこびりついたそれを、

捨てる決意ができた。




そして僕は、

改めて、自分の無力さを知り、
改めて、人のやさしさとか、世界の大きさとかを知り、
改めて、これほど涙が出そうな日々がこれまであっただろうか、
そんな営業シーンにいくつも出会った。




苦しくて、死にたくて、逃げ出しそうになる毎日だった。



でも、苦しくて、死にたくて、逃げ出しそうになる毎日を超えて、
営業を始めて初めて、自分を誇る。

絶望を覆した今日。






ついに見つけることができた。






そうか、こういうことだったんだ。


売上ってやつは、

受注ってやつは、

組織ってやつは、

モチベーションってやつは、

リーダーシップってやつは、

目標ってやつは、

戦略ってやつは、

マーケティングってやつは、

顧客満足ってやつは、

コンサルティングってやつは、

成果ってやつは、

企画ってやつは、

提案ってやつは、

人脈ってやつは、

信頼ってやつは、

会社ってやつは、

事業ってやつは、

経営ってやつは、

成長ってやつは、

ビジネスってやつは、





こういうことだったんだ。










前回の投稿にコメントを下さったみなさん、
本当にありがとうございました。

このブログが、こんなにもたくさんの人に見られていたのかと、
そしてこんなにもたくさんの人から言葉をかけてもらえるものなのかと、

嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。

前回記事を投稿してから今までの間に、
数えられない数の素晴らしい友人・後輩のみんなからコメントをもらいました。

大学時代からブログをやっていて、
ひとつの記事に対してこんなにたくさんの電話やメールをもらったことは初めてでした。



ひとつだけ伝えさせて下さい。



よっぽど僕のほうが、みんなから勇気をもらい、感動させてもらっているということを。

本当に、本当にありがとう。

そして、伝えさせてください。

みんなの存在が、どれほど僕を支えてくれているのかを。


本当に、本当に、みんなありがとう。






みんなのおかげで、

ようやく、

この、

目の前の厚い、厚い壁が、

音を立てて、

崩れました。





そろそろ、動き出そうと思います。

本当に、みんな、いつもありがとう。

2007-05-22

史上最高のプレゼン

入社して初めて、大型のプレゼンテーションをした。

相手は、東証一部上場の金融会社、広告宣伝部。

年間広告予算数十億を見込むプロモーションのプロを相手に、
発行部数6万部の小さな雑誌の営業マンが企画を売り込みに行った。


始まりは、数ヶ月前に何気なくかけた僕の一本の電話。


業界上位のX社において「戦略商品」だと掲げられていたその商品は、
ホームページを見ても、
CMを見ても、
どんな情報ソースを調べてみても、
あまりに世の中に知られていなくて、

営業上のブレイクスルーを求めていた。


いつものように血眼になって営業先を探していた僕は、
そのときなぜだか、なぜだかピンと来て、
気付いたら受話器を取って番号を押していた。


この金融商品の販売キーは「個人事業主」が握っているんじゃないか。


ものすごくおぼつかない仮説だったけれど、


それが彼らに刺さる。


おそらく日常的に大量の業者から売り込みをかけられる
広告宣伝部の彼らが「アントレ」という小さな雑誌に興味を示した。


「詳しい話を聞かせてもらえませんか?」


それからすぐに、僕とX社のミーティングが始まった。


「個人事業主」というマーケットの特性、
彼らをとりまく金融事情の調査、
今回プロモーションを行う商品の特性、
彼らにとってのその商品の「価値」、

短い時間の中で大量の対話が重ねられて、
しだいに企画の輪郭が浮き彫りになってきた。

僕も、X社も、この方向性に確信を持ち始める。



「それじゃあ、具体的な企画を考えてきます!」



なんと、現在のアントレユニットでいうと、
最大クライアントに匹敵する規模の予算の了解をもらい、帰社。


同時にリクルート社内が動きはじめた。


専属のディレクター、
商品企画プロデューサー、
営業ラインからはゼネラルマネジャー、
X社専門のチームが結成される。


どんな企画を仕掛けようか。


もはや事態は「広告の枠を販売する」ことにとらわれず、
「アントレ」という事業ができること、すべきこと、
X社が必要とするソリューションを開発するプロジェクトに発展しつつあった。

プロデューサーは「既存の広告商品の枠を超える」と言い、
ディレクターは「X社の会社と商品のイメージを根本的に変えてみせる」と言い、
GMは「この企画ならアントレを進化させられる」と意気込む。


僕は、ただこのX社の成長を願い、頭をひねり、走り続けた。


ほぼ、休みなんて返上だった。


そして、初めて電話をかけてから約二ヶ月後、
プレゼンテーションを翌日に控え、
デスクの上には完成された企画書一式が並べられていた。

翌日のプレゼンに向けて、チーム「X」のメンバーへ企画の趣旨を説明する僕。

すべての説明と打ち合わせを終え、
「明日はよろしくお願いします!」
と締めくくった僕にひとこと、GMが声をかけてくれた。

「これまで、本当にたくさんの企画書を見てきたけど、
 自分が想像した以上の企画書を見たのはこれがはじめてだよ。明日は頑張ろう。」



胸を張った。



自分ひとりの力じゃない。
本当にいろいろな人の力が集まって、
X社の成長のために、
出来上がったこの企画。


自身を持った。


これは、
リクルートにとっても、
X社にとっても、
この商品を待つすべての個人事業主たちにとっても、
絶対に必要な企画なんだ。


そして迎えたプレゼンテーション当日。


発表は絶賛を受ける。

想いとロジックに裏付けられた言葉は先方の心をとらえた。

いま振り返っても、完璧なプレゼンだった。



「素晴らしいご提案です。実現に向けて動いていきたいと思います。」



X社の社内が動く。
この企画の実現のため、稟議と予算どりに担当者が動き始めた。

同時に、正式なプロジェクトのキックオフも5月末に予定され、
X社サイドも、リクルートサイドも、関係各所の調整に入った。


嬉しかった。
誇らしかった。
自分のかけた一本の電話が、
その後の出会いが、
世の中を動かす大きな流れを作ることになるんだって、

そう思ったから。







しかし、事態は一変する。








先週の月曜日。
急な連絡があって、
急遽、X社広告宣伝部の面々がリクルートに来社した。

神妙な面持ちの彼らから、ただならぬ空気を察する。


「申し訳ない」


彼らから告げられたのは、
「その商品領域からの事業撤退」
という事実だった。

業界再編の大きな流れの中で、
商品ラインナップを見直していたX社。
その文脈で、その商品領域からの完全撤退がトップダウンで発表されたという。


「我々も寝耳に水で…」


という彼らの表情はやはり厳しく、
事の重大さをすぐに理解した。

彼らは彼らで撤退に伴い、すぐに全体のプロモーション戦略を
根本的に見直さなくてはならない。


「本当に、ここまで進めてきた企画なのに、申し訳ない」


そんな事態のさなかだというのに、
すべてを優先して僕らのところに連絡に来てくれた先方の想いに胸が熱くなった。

悔しいけれど、これはどうしようもないことなんだ。



そして、チーム「X」も解散が決定した。



X社の面々を見送った後、
社内で動いてくれていた関係者を報告にまわり始めた僕。

「おつかれさま」
「残念だったな」
「実現したかった!」

そのひとつひとつの声がストレートに胸に刺さる。

「本当に、みなさんありがとうございました!」

そう言った僕の表情は、きっと抜け殻みたいだったに違いない。






その夜、僕は初めて仕事で涙を流した。






実現したかった想いの大きさと、
何もできない自分の力の小ささとのギャップで、


ひとり、信じられないくらいに泣いた。







入社以来、泥臭い営業活動の繰り返しの中で、
目標とか意義とかが見えにくくなってきて、
モチベーションのコントロールに苦しんで、
成績へのプレッシャーに押しつぶされそうになって、
それでも自分の掲げる夢と目標に近づくために、
苦しいけれどここで成長しなくちゃいけないって想いを正して、
気合を入れて、
仕事をして、
でも、目に見えた成長なんて感じられなくて、
これが「壁」ってヤツなのかって、
だとしたら絶対にこの壁は越えてみせるんだって、
そう意気込んで、
また気合を入れなおして、
テンションを上げて仕事をしてみて、
それでもブレイクスルーはやってこなくて、
そんなとき、
もしかしたら自分なんて本当にここまでの小さな人間なんじゃないかって、
落ち込んで、
苦しんで、
ガンバルのか、
どうするのか、
考えても分からなくて、

そんな毎日で、

そんな中で出会った彼らだったから、

泣いた。






ひととおり泣きはらした後、
たまたま見つけたap bank fes 06の櫻井さんの映像



なぜだろう。


何かが自分の中で変化したような気がした。







非力かもしれない、
僕には何もできないかもしれない、
でも、
絶対に負けない。







この感じも、またいつもの思い過ごしなのか、それとも違うのか。

いや、

でも、

どうやらやっと、


この目の前の厚い壁にヒビを入れられそうな、

そんな気がするんだ。